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切通し
武家の都鎌倉は、東西北の三方を山、南を海で囲まれた天然の要害の地。外界から鎌倉への7つの入口が、「鎌倉七切通し」または「鎌倉七口」と呼ばれるもので、付近に有力な御家人を住まわせ、戦時には兵で固めた。
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[AL0601] 極楽寺坂
鎌倉の西の入口。鎌倉時代後期、極楽寺の開山・忍性が造道したと伝えられる。この切通しができる以前は、すぐ南側の稲村ヶ崎の南側に道を通していたという。
なお、鎌倉幕府滅亡のときには、新田義貞率いる倒幕軍と幕府軍が、この地で激しい攻防戦を行った。
明治時代以降に開削工事が進められ、現在は幅の広い舗装道路になっている。
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[AL0602] 大仏坂
現在、鎌倉大仏のある高徳院門前の道は大仏トンネルをくぐり、藤沢方面に通じている。大仏トンネルが開通する以前の旧道が、大仏トンネルが掘られている山の上からバス停「火の見下」までの間に残っている。
旧道は大正時代の大仏トンネル開通とともに廃道となったため、昔の街道の様子が非常によく残っている。 |
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[AL0603] 化粧坂
名前の由来は、このあたりに化粧した遊女がいたからとも、戦で討ち取った平家の武将の首を死化粧して、ここで検分したからとも言われる。
鎌倉から武蔵国方面への出入り口であった。現在は、坂を登るとすぐに源氏山公園が広がっている。 |
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[AL0604] 亀ヶ谷坂
武蔵国方面への重要な出入り口で、いわゆる鎌倉街道の「上ノ道(かみのみち)」に通じていた。鶴岡八幡宮の「鶴」に対応し、同じく長寿を表す「亀」が地名に用いられている。
余りの急坂に、登って来た亀がひっくり返ってしまった(引き返してしまったとも)ので、「亀返坂(かめかえりさか)」とも呼ばれた。 |
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[AL0605] 巨福呂坂
執権北条泰時により整備された。「亀ヶ谷坂」とともに、武蔵国方面への出入り口。
この道は建長寺前を通り、現在の北鎌倉駅方面に通じているが、当時、北鎌倉一帯の山内荘は泰時の所領であり、鎌倉に変事があった際に兵を投入するための軍用道路の意味合いもあったようである。
現在のバス通りである新道と離れて旧道が残っているものの、当時の名残は、道路わきにわずかに道祖神や庚申塔が残るのみである。 |
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[AL0606] 朝比奈峠
武蔵国六浦(横浜市金沢区)に通じる道で、巨福呂坂と同じ頃、北条泰時により整備された。
六浦には港があり、製塩所があったことから「塩の道」として重要視された。
現在は新道(金沢街道)が整備されているが、朝比奈峠を越える旧道も「朝比奈ハイキングコース」となって、多くのハイカーで賑わっている。
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[AL0607] 名越
三浦半島方面に抜ける道。北条氏にとって、三浦半島を拠点とする三浦氏は仮想敵であったため、道をわざと馬一頭がかろうじて通れる広さにしてあったり、道の真ん中に巨岩を埋めて騎馬で通りづらくしたりと、要塞都市鎌倉の様子がこの道にはよく残っている。
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[AL0608] 釈迦堂1(浄明寺側)
浄明寺(浄妙寺)地区と大町地区を結ぶ切通しで、「釈迦堂切通し」または「釈迦堂の洞門」と呼ばれる。高さ10メートルはあろうかという壮大なスケールの洞門は、時空を超えてきたある種の美しさをもって、我々に迫ってくるようである。
鎌倉には、七口の他、このように山の尾根で隔たれた市内の町と町を結ぶ切通しもある。
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[AL0609] 釈迦堂2(大町側)
「釈迦堂切通し」は、鈴木清順監督の映画『ツィゴイネルワイゼン』の舞台ともなった。
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