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詩仙堂


「詩仙堂」という名には、何か特別な風雅の響きがある。江戸時代、石川丈山という人物が造営した建物。その中心にあるのが、狩野探幽が描いた中国の詩家三十六人の肖像が掲げられた「詩仙の間」。「詩仙堂」の名の由来である。

叡山電鉄 一乗寺駅から
 ・徒歩約10分。
市バス「一乗寺下り松町」下車
 ・徒歩約5分 [地図]

一乗寺下り松 詩仙堂1 詩仙堂2

[YT0601] 一乗寺下り松

[YT0602] 詩仙堂1

[YT0603] 詩仙堂2

庭園1 庭園2 鹿おどし

[YT0604] 庭園1

[YT0605] 庭園2

[YT0606] 鹿おどし

[YT0601] 一乗寺下り松
叡山電鉄の一乗寺駅から東へ向かい、白川通を越えると、雲母坂(きららざか)の登り口に道標のように立つ1本の松がある。これこそが、宮本武蔵と吉岡一門の決闘の地として名高い「一乗寺下り松」である。
詩仙堂は、下り松から更に東へ徒歩5分ほど。竹垣に囲まれた門が入口だ。

[YT0602] 詩仙堂1
江戸時代の風流人・石川丈山が造営した住居で、現在は曹洞宗の寺になっている。
丈山は、元々徳川家の家臣であったが、徳川家を離れ、五十九歳で詩仙堂を造営。当代の文化人や風流の士と交わり、九十歳で亡くなるまでの約30年間をこの地で過ごした。

[YT0603] 詩仙堂2
丈山は実は徳川家のスパイだったのではないかとの説もある。詩仙堂のすぐ北の修学院離宮は、後水尾天皇を慰撫するために幕府が造営したもの。丈山は後水尾天皇を監視する役目だったのではないかというのである。詩仙堂の嘯月楼(しょうげつろう)は、そういえば見張り台のように見えなくもない。

[YT0604] 庭園1
丈山は庭造りの名手でもあった。庭および、庭に配置された池や滝には、いちいち難しい漢字の名前がつけられている。夏の暑い一日、それらの意味を考えながら、美しい庭を眺め、水の音に耳を傾けて静かなひと時を過ごす。贅沢なひと時。

[YT0605] 庭園2
庭を眺めながら、畳の上に寝転びたくなる。庭のさつきが咲く頃は、さぞかし綺麗だろう。

[YT0606] 鹿おどし
静寂な庭に、時折「コン」と響く音。日本庭園でよく見る「鹿おどし」。これも丈山が考案したもの。


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