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明日香村。飛鳥大仏から石舞台へ【奈良「古の日本」を旅する(後編)】

「明日香」と「飛鳥」の違いは?

中編から続く

日本の原点ともいえる奈良の風景が、近代化の波で失われてしまわないうちに、この目で見ておかなくては、との想いから計画した奈良旅行。最後の訪問先は、飛鳥寺や石舞台古墳のある「古代史の里」明日香村。

今でこそ長閑(のどか)な田園風景が広がる山里ですが、694年に藤原京に遷都されるまで、この地が日本の首都だったわけで、血なまぐさい政争が繰り広げられていました。

ところで、村の名前は「明日香」と書くのに、飛鳥寺、飛鳥時代などは異なる漢字が当てられています。何故なのでしょう?

雑誌の受け売りで恐縮なのですが、「飛鳥」は元々「明日香」の地の枕詞だったのだそうです。

『万葉集』に「飛ぶ鳥の明日香」という言葉が出てきますが、鳥が飛んでいる平和で豊かな土地という意味で、枕詞がいつの間にか地名表記にも使用されるようになったのだとか。

甘樫丘から眺めた明日香村

(写真:甘樫丘から眺めた明日香村)

斑鳩から明日香村までは車で移動したのですが、「遠い……」というのが感想。

聖徳太子の時代、都は当然この飛鳥ですから、太子は自宅のある斑鳩から飛鳥まで遠距離通勤をしていたわけです(笑)。

恐らく、政治的な立場から周囲の影響を受けないよう、わざと遠隔の地に居住したのでしょう。

日本の原点を見る-飛鳥寺、甘樫丘-

飛鳥に来てまず訪ねたのが飛鳥寺。こちらには「飛鳥大仏」(正式名称は「銅造釈迦如来坐像」)とよばれる我が国最古の仏像がいらっしゃいます。大仏といっても全長2メートル70センチで、奈良大仏や鎌倉大仏のような巨大仏ではありません。

法隆寺の釈迦三尊像と同じ鞍作止利の作ということで、顔を含め全体の造りに共通する部分が多いですね。ただ、鎌倉時代に落雷で半壊するなど、後世の補修による部分が多く、当初から残るのは目と額、右手指3本だけとのこと。

飛鳥大仏

(写真:飛鳥大仏)

飛鳥寺を出て次は甘樫丘(あまかしのおか)へ登りました。かつて蘇我氏の邸宅は飛鳥、大和を一望の下に見渡すことができるこの丘にあったといわれています。

甘樫丘から見た飛鳥の眺めは非常に感慨深かったですね。日本という国は山に囲まれた、ほんのわずかなこの土地から興ったのかと。

標高わずか148メートルですが、山頂から東側を見ると飛鳥の地を見渡すことができ、北側は大和三山のうち耳成山(みみなしやま)と天香久山(あまのかぐやま)、西側には畝傍山(うねびやま)がみえます。

また、その奥には大阪との境に立つ葛城山や二上山の雄岳と雌岳も見ることができます。

飛鳥、最大の観光スポット「石舞台古墳」

甘樫丘を後にして、最後は石舞台古墳へ。

有名なこの遺跡は蘇我馬子の墓といわれます。もともとは土がかぶされていたのが、大化の改新(乙巳の変)で蘇我氏が滅んだ後、蘇我氏への懲罰としてはがされ、現在の姿になったのではないかとの説があります。

石舞台古墳

(写真:石舞台古墳)

奈良では「これでもか、これでもか」というくらい国宝や美しいものに触れることができ、非常に満足しました。

しかし、その反面、「今まで一体この日本という国の何を知っていたのだろう」と、そんなことを考えさせられた旅でした。(終)

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