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奥州平泉の歴史散策 後編

平泉の史跡をめぐる

前編から続く

それでは、平泉の栄華の跡を実際に見て歩きましょう。

平泉へは、東北新幹線の一関駅で東北本線に乗り換え、2駅目の平泉駅で下車します。東北本線もこの辺はローカル線で、電車は1時間に1本程度ですので、時刻表は予め調べておいた方がよいでしょう。

ちなみに、今日のコースは、

平泉駅-伽羅御所跡-柳之御所跡-無量光院跡-高館(義経堂)-中尊寺-毛越寺(もうつうじ)-平泉駅

徒歩で約4~5時間のコースです。駅前にレンタサイクルがあるので、これを利用すれば効率良くめぐることができます。

本文中の写真で「【復元・藤原の郷】」とあるのは、平泉のお隣、奥州市の「歴史公園えさし藤原の郷」の建物の写真です。

平泉散策 平泉駅から高館まで

駅改札を出て最初の交差点を右折し、東北本線の踏切を渡ります。少し行くと「伽羅御所(きゃらのごしょ)跡 入口」と書かれた道識が立っているので、右折します。

さらに、しばらく行くと住宅地の一角に「伽羅御所跡」の看板が立っており、説明板が立っていますが、付近は住宅地になっており、どこが当時の遺構なのかは、よく分かりませんでした。

伽羅御所は三代秀衡の居所で、鎌倉幕府の歴史書である『吾妻鏡』にもその記述があります。位置的には、秀衡が宇治の平等院鳳凰堂にならって建てた無量光院跡の東隣にあたり、御所からは無量光院が見えたのでしょう。

伽羅御所【復元・藤原の郷】

(写真:伽羅御所【復元・藤原の郷】)

先程の「伽羅御所跡 入口」まで戻り、通りを少し先へ行くと、今度は「柳之御所跡 入口」との標識があります。柳之御所跡は伽羅御所跡の北側、北上川の川べりに位置します。

説明板によれば「柳の御所」というのは、江刺の豊田館から平泉に進出した清衡が館を構えた場所で、秀衡の伽羅御所に対して、後世、柳之御所と名づけられたのではないかということです。

なお、秀衡の時代に柳之御所を政庁として整備し、『吾妻鏡』に記載される「平泉館(政庁)」は、ここであった可能性が高いとも言われています。

さて、「柳之御所跡 入口」まで戻り、道なりに先へ行くと、左手に「無量光院跡入口」と書かれた標識が立っています。

無量光院跡。2004年撮影時の様子

(写真:無量光院跡。2004年撮影時の様子)

「無量光院」は、秀衡が宇治の平等院鳳凰堂にならって建てたといわれる華麗な寺院で、平等院より大きかったともいわれます。

東側は田んぼ、西側に東北本線の線路が走る真ん中に「無量光院跡」の標識や無量光院の絵が描かれた看板が立っています。田んぼになっている辺りが、庭園の池だったらしく、「中島の跡」という標識があります。

無量光院【復元・藤原の郷】

(写真:無量光院【復元・藤原の郷】)

無量光院跡から約500メートル程、「高館義経堂入口」を示す標識で右折すると、小高い山の上に高館(たかだち)があります。

ここは、壇ノ浦で平氏を滅ぼした後、兄・頼朝の怒りに触れ、鎌倉にも京都にも居場所がなくなった義経が、青年時代に世話になった秀衡を頼り、再び奥州の地にやってきたときに館を構えたといわれる場所です。

小高い山の上にあるこの場所は、平泉で景観随一といわれ、眼下に北上川の流れ、川向こうに束稲山(たばしねやま)を見ることができます。

後に秀衡の子である泰衡に攻められた際、義経はこの場所で最期を遂げ、郎党の弁慶は全身に矢を浴びながら立ち往生しました。

高館の義経像

(写真:高館の義経像)

義経の死の約500年後に平泉を訪れた松尾芭蕉は、この高館に立ち、かの有名な

「夏草や 兵どもが 夢の跡」

の一句を詠みました。

現在、義経堂というお堂が建ち、中には義経の像がまつられており、傍らには芭蕉の句碑が立っています。

中尊寺

高館の丘をくだり、右手に進んで踏切を渡ると、すぐに中尊寺の門前に出ます。ここから中尊寺本堂や有名な金色堂がある山上までは「月見坂」という緩やかな坂が続きますが、この坂の登り口に立つ五重塔は、弁慶の墓だといわれています。

中尊寺は天台宗の寺で、嘉承3(850)年、慈覚大師によって開かれ、後、藤原清衡が戦死者の供養と平和を祈願して「寺塔四十余、禅坊三百余」を建て再興しました。

月見坂を登りながら、義経・弁慶の木像をまつる弁慶堂、眺望の良い東物見台などを経て、ゆっくり歩いても麓から約30分で本堂に到着。平泉観光の目玉、金色堂はもうすぐそこです。

中尊寺金色堂

(写真:中尊寺金色堂)

金色堂は、中尊寺創建当初の唯一の建物で、国宝第一号。中尊寺を訪れた芭蕉は、「五月雨の 降り残してや 光堂」と、金色堂を「光堂(ひかりどう)」と表現しました。

金色堂は風雪から金箔を守るため鉄筋コンクリートの覆堂(おおいどう)に護られています。建立から160年余は雨ざらしでしたが、風雪から守るため鎌倉幕府が覆堂を作りました。

現在のコンクリートの覆堂は、昭和37年より始まった、金色堂の昭和の大修理の際に建てられたもの。木造の旧覆堂は、金色堂から少し離れた場所に移築され、中には郷土の画家の作品が展示されています。

中尊寺境内からの眺望。奥州の大地を一望

(写真:中尊寺境内からの眺望。奥州の大地を一望)

毛越寺

さて、中尊寺を後に、最後の目的地、毛越寺(もうつうじ)に向かいます。国道4号(陸羽街道)を平泉駅方面に向かって歩いていると、途中「毛越寺庭園 近道」と書かれた大きな看板が立っているので、ここから右手の分かれ道に入ります。

途中、史跡から発掘された遺物を中心に公開している「平泉郷土館」の前を通り、約30分で観自在王院跡(発掘調査に基づいて復元された舞鶴ヶ池を中心に公園が整備されている)に到着。

観自在王院跡に隣接して、中尊寺と並ぶ平泉観光の見所、毛越寺があります。

毛越寺庭園

(写真:毛越寺庭園)

毛越寺は、中尊寺と同じく嘉承3(850)年、慈覚大師によって開かれた天台宗の別格本山。毛越寺の見所は「大泉が池」という浄土庭園で、藤原時代は、この池に船を浮かべ管弦の楽を奏しました。

5月には、「曲水の宴」が再現されます。また、紅葉の季節のこの庭は、とくにきれいです。

毛越寺境内は、国の特別史跡・特別名勝の二重指定を受けています。

鹿(しし)踊り

(写真:春・秋に行われる観光イベント「藤原まつり」の期間中に、境内で奉納される郷土芸能「鹿(しし)踊り」)

毛越寺から平泉の駅までは、徒歩10分程。とても楽しい歴史散策でした。

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